梅雨の長雨もやっと明け、
湿気がやっとこ退散してったその後に、
いよいよやって来るのは 酷暑の夏だ。
雨は去ったとは言えど、
それでも湿度は結構高く。
そこへとお天道様が顔を覗かし、
眠気まなこから瞬きし終えての“さて”と、
今日一日のお務めにかかりましょかという構えへ入られたれば。
その途端に大気は熱を含み始めるわ、
蝉たちが弾かれたように鳴き始めるわ。
軒に半ばまで巻き上げられた簾の陰越し、
木下の闇も深まりて。
力 増した緑の濃さだけが眸の憩い。
“………しけて。”
明けたばかりも同然というほど早い刻ならまだ、
朝露を撫でてでも来たものか、どこか涼しい風も吹く。
芒種の長い葉、軽やかにさわさわ揺れてたものが。
不意な陰に蹴散らされ、
ざんっと、弾けて大きく揺れた。
“………おととさま。”
まだ若く柔らかな色合いの、
さして丈も高くはない雑草の株が連なるを。
小さな茂みの緑の波間、
蹴立て横切り、踏み散らかして。
とてとて・たかたか、
弾むように駆ける、小さな小さな影がある。
“………おやかまさま。”
それはそれは忙せわしげに、
目にも止まらぬとは正にこのこと、
小さな体、丸めちゃ延ばし、手鞠のように弾ませて。
ふわふかなお尻尾をピンと立てたまま、
小さな前足、後足で蹴るようにしての、
ただただ前だけ向いての一生懸命。
どこへと向けてか、たかたか・とたとた、
一目散に駆けて駆けて。
「…はやっ☆」
小さな出っ張りに前足ぶつけ、
足並みが乱れたそのまんま、
急いでた勢いあまって“ぽーん”って前へ飛ばされちゃって。
お顔から落ちたそのまま、
下生えの枯れたのや小石で、
ごしごしって、ずりずりって頬っぺを擦られたのも痛かったけど。
「うにゃん…。」
そこだけ白い前足の先っぽ、
毛並みの奥からうっすらと、赤いのが滲んで来てもいたけれど。
今は痺れてるだけ、大丈夫って。
こんなっくらい平気なのって。
お顔が汚れたまま、
両方の前足を突っ張って、
よいちょって立っちして歩きだす。
だって、待っててってゆって来たから。
はぁくしないと大変だから。
「…ひぃん。」
地面へつくたび、あんよが痛いたいだけど急がなきゃ。
お顔がヒリヒリすゆけど頑張らなきゃ。
とぽとぽしてたら間に合わない。
たかたかに戻らなきゃ間に合わない。
“おとと様、おやかま様っ、せーな、たしけてっ”
痛いけど痛くない。
急ぐの、待ってゆの。
あんよさん、速く。
急いで、速くっ。
たかたか動いて、もっともっと。
「…っ。」
忙せわしく駆けてたあんよがまた、
草の株にぶつかって捕まって。
今度は てーんって飛ばされたほども つんのめったけど、
もうコケてもいられないのっ。
“おやかま様、…あぎょんっ!”
“……誰か、だれか たしけてっ!”
うぐうぐ・あぎあぎ、我慢なの。
お目々とか喉の奥とかお鼻の奥とか、
じわんて痛いけど我慢なの。
だってあの子はもっと痛いの。
トゲトゲの堅いのでガブッてされた。
はぁく取らないと、はぁく たしけてあげな、い、と…。
「〜〜〜。」
目の前が うにゅりって歪んで来たのは涙のせいかな。
でも、拭ってる暇もない。
ぐしゅぐしゅ言いつつ、それでも止まらず、
泣きそうになりながら翔ってたら、
「…っ!」
そんな坊やの前、誰かが音もなく飛び出して来た。
「? どした、チビ?」
誰もいなかったのに、ぶわって空気から出て来た誰か。
ああそうだ、くちゅばも そやって遠いお空の宮まで帰ってく。
たかたか・ぱたぱた、走らなくとも飛んでける。
くうにも出来ればいいのに、
したら、あの子のトコまで あっちゅう間に行けゆのに。
「ちび?」
毛並みの豊かなこの姿でも、自分が くうだと判る彼だから。
そのまま“どうしたんだ”と、屈んでくれようとした大きな影へ。
その足元までしかない身を立っちさせ、
前足で てんって、
相手を掴む…というより、
自分を支えるみたいに腕立てて凭れた仔ギツネ。
そうしてそして、
「あぎょんっ、来てっっ!」
小さな三角のお顔を上げて、
いつもの何倍もうるうると濡れてた黒い眸で、
背の高いお兄さんを見上げたその途端、
―― ふっ、て。
あんまり朝早かったので、
夜中を通して遊んでた精霊さん、
今やっと帰ったものかと見えたほど。
確かにそこにいた二人分の影が、
森の草の香や傍らの梢のざわめきに呑まれたみたいに、
霞のように掻き消えた……。
◇ ◇ ◇
天の宮から降りて来て、でも、
お屋敷の皆はまだネンネしてたの。
そいで、つーまんなーいってお庭にいたらば、
蝶々さんが来たからあのね?
待って待ってって、追っかけてって森まで来てね、
そしたらその子が遊んでた。
くうと一緒の によいがした仔。
ふわふかなお尻尾もまだまだ小さい、
一年仔だろう、野のキツネ。
まだ巣から離れるには早すぎる時期だから、
お母さんが眸を離した隙に、うっかり迷子にでもなったのか。
かささと下生え揺らして出て来た くうのこと、
同じ匂いのお友達だと思ったらしく、
夏草の中、ころころと まろぶようになって遊んでいたらば、
―― がちゃん、って
吠えもしなきゃあ匂いもせぬまま、
堅くて重たい牙が、地面から飛び出して来て、
その仔の足に噛みついた。
「勝手に入って来おった密猟者だの。」
この森は俺んだってのによ。
それなり、結界だって張ってたはずなのに、欲の皮が勝ったかね。
金の髪した おやかま様が、
薄い唇歪ませて、口惜しそうに口許噛んだは。
勝手なことした人間に腹立てたのもあるけれど、
必死だった くうのお声、
一番最初に拾えなかったのも口惜しかったらしくって。
『…今、お前、何しやがった?』
自分が出来るのは判ってた。でも。
こんな小さな仔ギツネさんが、
しかもしかも、ご本人以外の存在も一緒に、
次空転移、一瞬で遠隔地まで翔ることが出来たとは。
それでまずはと驚いた阿含さん、
それでも急いで罠をこじ開け、
弱ってた仔ギツネさんを助けてくれたのだけれども。
『よかったぁ〜〜〜っ。』
もはや声さえ出ないお友達、
それでも息はあったのへ、
すがって泣き出した小さな仔ギツネ。
自分が一体どれほどのことをしたものか、
全然判ってなかった、小さな仔ギツネ。
別の次界をまたぐ術なだけに、
それなりの防御咒を唱えねば危険な仕儀でもあり。
いくら特別な血統の子供でも、
修行なしにて出来ることじゃあない筈だのに。
『まだお小さいから…というのは、能力のみならずのこと。』
晩になって迎えに来た朽葉が言うには、
何が危険かどこは禁苑かなんていう、
山のような道理を覚えるのが無理だから、それで。
そういう修養はまだ早いとされてた和子なのに、と。
あんまり動じない彼でさえ、やはり驚いていたようで。
「きゅ〜…。」
「痛い? 痛いの?」
熊でも捕りたかったか、そりゃあ大きな虎バサミの罠。
それに咬まれたお友達を助けたいって一心から、
誰もいない森の中、必死で走ってそれから、
出て来てくれた蛇妖の阿含さんを、
そうそう、邪妖の彼を有無をも言わさず連れてったのも型破り、
そこまで出来た奇跡の和子…は、と言えば。
あまりの痛さに動けなんだが幸いし、
傷は深いが治せる級ので助かった、
野狐の仔ギツネさんに寄り添っておいで。
紅葉みたいな小さなお手々が、その縁を掴んだ大きめの籐籠に、
真綿の布団をふかりと敷き詰めた寝どこの中。
そおっと寝かされた怪我人、もとえ、怪我ギツネさんもまた。
今は人の子の姿でおわす くうなのに、
匂いで判るか、しきりときゅんきゅん鳴いては甘えていたりし。
「…かわいいですねぇ。////////」
気の毒だけれど もう安心だから、つい。
小さな書生くんが、頬染めて見とれてしまっていたりする睦まじさ。
そこへ、
「そっちはお前とくうに任せっから。」
「え? あ、はは、はいっ。」
のほほんとしていたお顔を、声かけた師匠の方へと振り向ければ、
「…お師匠様。」
「何だ。」
「…いえ。」
訊くだけ野暮かと、瀬那くんのお声が尻すぼみになったのも無理はない。
この暑いのに…だからと早くも数日前から、
薄い木綿布で仕立てる、
下着姿も同然の帷子かたびら姿になっていたお人が。
純白の絹に織り込まれた綾錦も荘厳な、
小袖に狩衣、袴というかっちりとした装束に身を固め。
手には大判の咒符の束、そしてその細背に負うたは、
最強のまじないに使う破邪祈念の石を握りのところに象眼した大弓。
腰にはやはり…唐渡りの、三日月みたいな蛮刀を提げるという凝りようで、
“森へ行って密猟者を懲らしめるおつもりだ。”
それも、罠を見に来るのを待ち伏せる…なんてな穏当な手じゃあなかろう。
あの姿から察するに、
罠に残りし思念の痕跡嗅ぎ出して、仕掛けた持ち主暴いての、
こっちから押しかけてって、何らかの“お仕置き”なさるに違いなく。
それって……
“罠に熊や虎が掛かって、でも、深手からの逆襲されるよか、
ずんと恐ろしいことだと思いますよ?”
だよねぇ。
きっと腹いせが入っての、
三割増ほどキツいお仕置きになりそうな気配。
だって、葉柱さんまでが、
「よぉっし。」
気合い十分なのみならず、
堅そうな材質の籠手と肩あてという、
普段はしない厳重な武装をなさっての、
一緒に行く気満々でおいでだし。
森に着いたら着いたで、
大妖の誰かさんだって…
そっちは面白そうだからと加担しちゃうに違いない。
なんか怖いな、何が起きるんだろ。
“……でもさでもさ。”
こ〜んな小さい子に こ〜んな痛い目させた馬鹿な大人なんだしねぇ。
「……ま・いっか。」
そんな奴にまで慈悲深いセナくんじゃあなくなったのは、
はっきり言ってここに居続けたればの感化に違いなかろうけれど。
何の、そのくらい砕けてくれんと、
先々で色んな目に遭い いちいち傷つけられるのはご主人のほうと、
《 …。》
そこは憑神の誰か様も見て見ぬ振りを決め込むらしく。
「行くぞっ。」
「おうさっ!」
何だか妙な勇ましさで出掛けた、金と黒の主従を見送り、
深々と頭を下げた賄いのおばさま、
「…で、お館様はどちらへ?」
「あのねあのね? ツタさん、あのね?」
一番事情が判ってなかったおばさまへ、
さぁさ、セナくん。
頑張って説明しなくちゃあねぇvv
水盤に浮かした睡蓮が、頑張ってねと揺れていた、
とある昼下がりのことでした。
〜Fine〜 08.7.14.
*天狐のくうちゃん、人間に化けられるだけじゃあありません。
他にも色々出来たりします。
ホントはもっと大きくなってからのはずですが、
色んな意味から“大物”ぞろいのこの環境じゃあ…ねぇ?
めーるふぉーむvv 

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